2011年01月24日
遺跡探検 in 井之川
昨日は徳之島の遺跡&パワースポット探検隊の徳之島トレジャーアイランドさん
に同行させてもらい、井之川というところに探検にいって参りました!
今回はそのレポートです
当日は井之川公民館の第46代・横綱朝潮太郎記念像の前で
待ち合わせです。
探検する場所は井之川公民館そばの小高い山の中です。
畑の中から失礼して、ずんずんと山の中に入ってきます。
山の中でひっそりと成長を続けているガジュマルの木を見ていると、
まるで本当にケンムン(妖怪)がひそんでいるかのようです。
根を無数にたらしている大きなガジュマルの木です。
ガジュマルの根が、すでに腐ってしまっている大きなソテツを
締め付けるようにして抱きついています。
石灰岩の隙間の穴からも根が突き出ています。
よく東南アジアの遺跡群などで、遺跡を覆い尽くすかのような
ガジュマルの木を目にすることがありますが、やっぱりガジュマル
の生命力ってスゴイわ
が、今回の目的は遺跡探検!
ということで、探検隊が遺跡後を次々と発見しました!
上の二つの写真は、明らかに人工的に積み上げられた石灰岩の石垣です。
この他にもいたるところで石垣を見ることができました。
が、今回最大の発見といえばコレ!
↓
↓
↓
↓
人一人がやっと入れるような洞窟!
洞窟の奥とその横には何かを祭ってあるような窪みがあります。
“おいおい、コレって結構すごい発見じゃない!?”
と興奮しつつ、横1メートルほどの横穴を探っているとこんな
モノがでてきました。
↓
“なんだこりゃ!?”
アルミで出来た缶の形状を見てみると、おそらくこれで昔お酒を
作っていたのではなかろうかということでした。
さてここが密造酒製造跡地だったのかは、今のところ???です
洞窟の上の方にも行ってみると、小さい石が積み上げられたその
上に大きな石灰岩があり、この窪みに水をはって手や体を清めて
いたのではないかということでしたが、これから何度か通って
調査をするそうです。
これは南西諸島から沖縄にかけて生息する夜光貝で作られた
貝細工のカケラらしく、これから夜光貝アーティストの専門
家の方に見てもらうようです。
そんな中、山の中でサザエを発見
と思ったら、
↓
↓
↓
陸ヤドカリでした
今回はとりあえずこれで探検を終了し、再度詳しいことを
調べるために何度か訪れるようです。
が、その帰り道、何気に上を見ながら歩いていると急勾配に
なっている山の斜面に洞窟を発見しました。
これは戦時中の防空壕で、この集落ではここからアメリカ軍の
攻撃を監視していたようです。
この上にも更に大きい防空壕がありましたが、とても登れる
ようなところではなかったので行くのは断念しました。
今はこんなに平和な日本ですが、あきらかにここでも
戦争があったんだなぁ。
と、考えさせられた一日でもありました。
合掌
に同行させてもらい、井之川というところに探検にいって参りました!
今回はそのレポートです
当日は井之川公民館の第46代・横綱朝潮太郎記念像の前で
待ち合わせです。
探検する場所は井之川公民館そばの小高い山の中です。
畑の中から失礼して、ずんずんと山の中に入ってきます。
山の中でひっそりと成長を続けているガジュマルの木を見ていると、
まるで本当にケンムン(妖怪)がひそんでいるかのようです。
根を無数にたらしている大きなガジュマルの木です。
ガジュマルの根が、すでに腐ってしまっている大きなソテツを
締め付けるようにして抱きついています。
石灰岩の隙間の穴からも根が突き出ています。
よく東南アジアの遺跡群などで、遺跡を覆い尽くすかのような
ガジュマルの木を目にすることがありますが、やっぱりガジュマル
の生命力ってスゴイわ
が、今回の目的は遺跡探検!
ということで、探検隊が遺跡後を次々と発見しました!
上の二つの写真は、明らかに人工的に積み上げられた石灰岩の石垣です。
この他にもいたるところで石垣を見ることができました。
が、今回最大の発見といえばコレ!
↓
↓
↓
↓
人一人がやっと入れるような洞窟!
洞窟の奥とその横には何かを祭ってあるような窪みがあります。
“おいおい、コレって結構すごい発見じゃない!?”
と興奮しつつ、横1メートルほどの横穴を探っているとこんな
モノがでてきました。
↓
“なんだこりゃ!?”
アルミで出来た缶の形状を見てみると、おそらくこれで昔お酒を
作っていたのではなかろうかということでした。
さてここが密造酒製造跡地だったのかは、今のところ???です
洞窟の上の方にも行ってみると、小さい石が積み上げられたその
上に大きな石灰岩があり、この窪みに水をはって手や体を清めて
いたのではないかということでしたが、これから何度か通って
調査をするそうです。
これは南西諸島から沖縄にかけて生息する夜光貝で作られた
貝細工のカケラらしく、これから夜光貝アーティストの専門
家の方に見てもらうようです。
そんな中、山の中でサザエを発見
と思ったら、
↓
↓
↓
陸ヤドカリでした
今回はとりあえずこれで探検を終了し、再度詳しいことを
調べるために何度か訪れるようです。
が、その帰り道、何気に上を見ながら歩いていると急勾配に
なっている山の斜面に洞窟を発見しました。
これは戦時中の防空壕で、この集落ではここからアメリカ軍の
攻撃を監視していたようです。
この上にも更に大きい防空壕がありましたが、とても登れる
ようなところではなかったので行くのは断念しました。
今はこんなに平和な日本ですが、あきらかにここでも
戦争があったんだなぁ。
と、考えさせられた一日でもありました。
合掌
2011年01月17日
徳之島も光回線!
徳之島は今サトウキビの収穫期で、サトウキビを乗せた大型
トラックが島中をガンガン飛ばしている中、地デジ化や光回
線の開通に伴い、いたるところで九州電力さんも工事を行っ
ていて、なんだかちょっと慌しい雰囲気を漂わせております。
地デジ化に伴い、わが天城町のケーブルテレビ(AYT)も
今後の工事の下準備のため、パソコンとエクセルを使える人
間が短期間のみ欲しいって事で、早速本日行ってまいりました
事務所は九州電力さんの仮事務所にていわゆるプレハブって
やつです
で、行ってみると大勢いるスタッフは殆ど福岡からやって
きたんだそうな
“~やけん” “~なんよ”
なんて言葉が聞こえるたびに、あ~なつかし~。なんて
一人感慨にふけっております。
考えてみたら徳之島に戻ってからというもの、大勢でデスク
ワークってのも初めだな~。
なんだか新鮮~
ちなみに旅行の仕事は朝・昼・夕方それぞれメールを
チェックしておりますので~
今回は2週間程度のお手伝いなので、楽しみながら
頑張りたいと思います
それにしても、久々に博多の屋台が恋しくなったわ~
ま、それもなかなか実現しないので一人さみしく(?)
黒糖焼酎&島ミカンで一日の労を労いたいと思います
甘酸っぱい島ミカンは、黒糖焼酎にむちゃくちゃ合いますぞ
トラックが島中をガンガン飛ばしている中、地デジ化や光回
線の開通に伴い、いたるところで九州電力さんも工事を行っ
ていて、なんだかちょっと慌しい雰囲気を漂わせております。
地デジ化に伴い、わが天城町のケーブルテレビ(AYT)も
今後の工事の下準備のため、パソコンとエクセルを使える人
間が短期間のみ欲しいって事で、早速本日行ってまいりました
事務所は九州電力さんの仮事務所にていわゆるプレハブって
やつです
で、行ってみると大勢いるスタッフは殆ど福岡からやって
きたんだそうな
“~やけん” “~なんよ”
なんて言葉が聞こえるたびに、あ~なつかし~。なんて
一人感慨にふけっております。
考えてみたら徳之島に戻ってからというもの、大勢でデスク
ワークってのも初めだな~。
なんだか新鮮~
ちなみに旅行の仕事は朝・昼・夕方それぞれメールを
チェックしておりますので~
今回は2週間程度のお手伝いなので、楽しみながら
頑張りたいと思います
それにしても、久々に博多の屋台が恋しくなったわ~
ま、それもなかなか実現しないので一人さみしく(?)
黒糖焼酎&島ミカンで一日の労を労いたいと思います
甘酸っぱい島ミカンは、黒糖焼酎にむちゃくちゃ合いますぞ
2011年01月10日
第二の母
去年11月の出来事です。
ブログにするには思い出すと泣きそうなので、ちょこちょこ滞って
いましたが、年も明けてやっと心機一転。という気持ちになった
ので、伯母の事を書いてみようと思います。
トミヤム家には、ずっと生活を共にしてきた伯母がおりました。
伯母は生まれつき体が不自由ながらも、父と母が畑仕事に行く時には
トミヤム家の兄弟6人の面倒を、亡くなった祖父と共に一緒にみて
くれた、いわゆる私たちの“第二の母”といった存在でした。
ある日、ショートステイでお世話になっている某福祉園から、
“体調が悪そうなので、病院に連れてきます”
と連絡が入りました。
季節の変わり目にはありがちなことだったので、いつもの事かと思い
姉に仕事の帰りに様子を見に行ってもらったのですが、ふと伯母が
いつも寝ているベッドを目にした時、そのベッドがなんとなく所在
なさげに見えました。
その時に何か予兆があったのかもしれません。
翌日姉と一緒に病院に行くと、伯母は私たち2人の顔を見て、
“きてくれたの~。2人の顔を見たら安心した~。”
と、満面の笑顔で迎えてくれたので、
“やっぱ今回も大丈夫みたい”
と安心していたのですが・・・。
前日の昼頃から食事を取っていないようだったので、水と
ジュースを半分づつに分けて与えたところ、ものすごい
勢いでそれらを飲み干していきました。
その数分後です。
目を大きく見開き、大きな息を3~4回吸っては吐いて、
その後、気がつくと息をしていませんでした。
4年間伯母の介護を続けてきた母に、どうしても死に目に
立ち会ってもらいたいと心臓の蘇生を施してもらいました
が、やはり伯母は目を覚ますことはありませんでした。
生まれてからずっと体の痛みに耐え、約4年間の寝たきり
生活からやっと開放されて、ほっとしたのかもしれません。
伯母は本当に安らかな顔をしていました。
もしかして、伯母は私たちが来るのをずっと待っていてく
れたのかもしれません。
悲しいけれど、後悔もたくさんあるけれど、
その顔を見て、
“伯母ちゃんは、やっと楽になれたんだな~・・・”
と、家族はもちろん伯母を知る誰もがそう思ったと思います。
おばちゃん、今まで本当にありがとう。
おばちゃんは私たちにとって、これからもずっと母の
ような存在です。
これからも天国でみんなを見守っていてください。
合掌
2年前に福祉園で撮影された誕生日の記念写真。
家族のお気に入りの写真です。
トミヤム家の5人姉妹と姪っ子2人。
東京、大阪、神戸から帰ってきました。
たった一人の男子は忙しくあちらこちらへ飛び回っておりました。
今回の為に帰省してきた姪っ子3人とおじいちゃん&おばあちゃん
です。
今度はいつ会えるか分からないので記念撮影です。
亡くなってから7日目の“ハマ祭り”と呼ばれる行事です。
この日は朝早くにお墓で親戚などと一緒に朝ご飯を食べました。
四十九日は親戚が集まり、この日は楽しく過ごしました。
伯母にとって私はあまりいい子供(姪っ子)ではありませんでしたが、
一昨年の2月に徳之島に戻ってから今までの間、伯母の最後を看取る
事ができた事は、私にとっては一番幸せなことだったのかもしれ
ません。
私たちを待っていてくれた伯母ちゃんには、本当に感謝です。
ブログにするには思い出すと泣きそうなので、ちょこちょこ滞って
いましたが、年も明けてやっと心機一転。という気持ちになった
ので、伯母の事を書いてみようと思います。
トミヤム家には、ずっと生活を共にしてきた伯母がおりました。
伯母は生まれつき体が不自由ながらも、父と母が畑仕事に行く時には
トミヤム家の兄弟6人の面倒を、亡くなった祖父と共に一緒にみて
くれた、いわゆる私たちの“第二の母”といった存在でした。
ある日、ショートステイでお世話になっている某福祉園から、
“体調が悪そうなので、病院に連れてきます”
と連絡が入りました。
季節の変わり目にはありがちなことだったので、いつもの事かと思い
姉に仕事の帰りに様子を見に行ってもらったのですが、ふと伯母が
いつも寝ているベッドを目にした時、そのベッドがなんとなく所在
なさげに見えました。
その時に何か予兆があったのかもしれません。
翌日姉と一緒に病院に行くと、伯母は私たち2人の顔を見て、
“きてくれたの~。2人の顔を見たら安心した~。”
と、満面の笑顔で迎えてくれたので、
“やっぱ今回も大丈夫みたい”
と安心していたのですが・・・。
前日の昼頃から食事を取っていないようだったので、水と
ジュースを半分づつに分けて与えたところ、ものすごい
勢いでそれらを飲み干していきました。
その数分後です。
目を大きく見開き、大きな息を3~4回吸っては吐いて、
その後、気がつくと息をしていませんでした。
4年間伯母の介護を続けてきた母に、どうしても死に目に
立ち会ってもらいたいと心臓の蘇生を施してもらいました
が、やはり伯母は目を覚ますことはありませんでした。
生まれてからずっと体の痛みに耐え、約4年間の寝たきり
生活からやっと開放されて、ほっとしたのかもしれません。
伯母は本当に安らかな顔をしていました。
もしかして、伯母は私たちが来るのをずっと待っていてく
れたのかもしれません。
悲しいけれど、後悔もたくさんあるけれど、
その顔を見て、
“伯母ちゃんは、やっと楽になれたんだな~・・・”
と、家族はもちろん伯母を知る誰もがそう思ったと思います。
おばちゃん、今まで本当にありがとう。
おばちゃんは私たちにとって、これからもずっと母の
ような存在です。
これからも天国でみんなを見守っていてください。
合掌
2年前に福祉園で撮影された誕生日の記念写真。
家族のお気に入りの写真です。
トミヤム家の5人姉妹と姪っ子2人。
東京、大阪、神戸から帰ってきました。
たった一人の男子は忙しくあちらこちらへ飛び回っておりました。
今回の為に帰省してきた姪っ子3人とおじいちゃん&おばあちゃん
です。
今度はいつ会えるか分からないので記念撮影です。
亡くなってから7日目の“ハマ祭り”と呼ばれる行事です。
この日は朝早くにお墓で親戚などと一緒に朝ご飯を食べました。
四十九日は親戚が集まり、この日は楽しく過ごしました。
伯母にとって私はあまりいい子供(姪っ子)ではありませんでしたが、
一昨年の2月に徳之島に戻ってから今までの間、伯母の最後を看取る
事ができた事は、私にとっては一番幸せなことだったのかもしれ
ません。
私たちを待っていてくれた伯母ちゃんには、本当に感謝です。
2011年01月05日
徳之島のお正月
明けましておめでとうございます!
今年は東京から帰省してきた友人と、新年早々居酒屋へ
繰り出して参りました
久々に会う友人と近況を語りあう中、同じTシャツを来た若者が
次々と入店し、にぎやかな宴会を繰り広げておりました。
どこの学校卒業か聞きそびれてしまったけど、本年度の
成人者たち(若い)
皆でそろえたTシャツの裏にはこのような文字が・・・
これらの言葉はそれぞれの町の方言で“とっても”や“すごく”
という意味になります。
↓
“ちっき(徳之島町弁)”
“ぶっとぅ(天城町弁)”
“がんま(伊仙町弁)”
そして“ほ~らい”は、3町の共通語(?)で“うれしい”
という意味で“すごくうれしい”と表現されてました
私たち世代(いわゆるアラフォー)は、小学校時代に方言禁止令
などというものがあり、正直、島の言葉を含む文化に対して、
若い頃はあまり誇りに思っていなかったように感じるので、
若者達がこんな風に方言を使うことに対しては、おばぁごころ
にも今は嬉しく思います。
ちなみに今日(1/5)は徳之島での成人式でした
そして1/3は徳之島での年祝いにあたります。
わが前野集落では、太鼓や三味線を演奏しながらこんな
コスプレ集団が年祝いのお宅を練り歩いておりました。
ド派手な衣装を身にまとい、唄い、踊るまくるその姿に
泣き出す子供もいたほどでした。
正直、私も赤いお面をかぶったお兄さんがまじに怖くて
少しびびってしまった
うーん、かなり迫力のある画だったのですが、やっぱ私の携帯
写メではこれが限界やね~( ̄へ ̄;)
2010年の後半はある事をきっかけにイマイチ気がのらない
日々を過ごしていましたが、2011年が始まった途端、モチベー
ションが徐々に上がってきたような気がします
やっぱ、節目って大切やね。
と思う今日この頃。
本年度もどうぞ宜しくお願い致します m(_ _)m
今年は東京から帰省してきた友人と、新年早々居酒屋へ
繰り出して参りました
久々に会う友人と近況を語りあう中、同じTシャツを来た若者が
次々と入店し、にぎやかな宴会を繰り広げておりました。
どこの学校卒業か聞きそびれてしまったけど、本年度の
成人者たち(若い)
皆でそろえたTシャツの裏にはこのような文字が・・・
これらの言葉はそれぞれの町の方言で“とっても”や“すごく”
という意味になります。
↓
“ちっき(徳之島町弁)”
“ぶっとぅ(天城町弁)”
“がんま(伊仙町弁)”
そして“ほ~らい”は、3町の共通語(?)で“うれしい”
という意味で“すごくうれしい”と表現されてました
私たち世代(いわゆるアラフォー)は、小学校時代に方言禁止令
などというものがあり、正直、島の言葉を含む文化に対して、
若い頃はあまり誇りに思っていなかったように感じるので、
若者達がこんな風に方言を使うことに対しては、おばぁごころ
にも今は嬉しく思います。
ちなみに今日(1/5)は徳之島での成人式でした
そして1/3は徳之島での年祝いにあたります。
わが前野集落では、太鼓や三味線を演奏しながらこんな
コスプレ集団が年祝いのお宅を練り歩いておりました。
ド派手な衣装を身にまとい、唄い、踊るまくるその姿に
泣き出す子供もいたほどでした。
正直、私も赤いお面をかぶったお兄さんがまじに怖くて
少しびびってしまった
うーん、かなり迫力のある画だったのですが、やっぱ私の携帯
写メではこれが限界やね~( ̄へ ̄;)
2010年の後半はある事をきっかけにイマイチ気がのらない
日々を過ごしていましたが、2011年が始まった途端、モチベー
ションが徐々に上がってきたような気がします
やっぱ、節目って大切やね。
と思う今日この頃。
本年度もどうぞ宜しくお願い致します m(_ _)m