2011年01月10日
第二の母
去年11月の出来事です。
ブログにするには思い出すと泣きそうなので、ちょこちょこ滞って
いましたが、年も明けてやっと心機一転。という気持ちになった
ので、伯母の事を書いてみようと思います。
トミヤム家には、ずっと生活を共にしてきた伯母がおりました。
伯母は生まれつき体が不自由ながらも、父と母が畑仕事に行く時には
トミヤム家の兄弟6人の面倒を、亡くなった祖父と共に一緒にみて
くれた、いわゆる私たちの“第二の母”といった存在でした。
ある日、ショートステイでお世話になっている某福祉園から、
“体調が悪そうなので、病院に連れてきます”
と連絡が入りました。
季節の変わり目にはありがちなことだったので、いつもの事かと思い
姉に仕事の帰りに様子を見に行ってもらったのですが、ふと伯母が
いつも寝ているベッドを目にした時、そのベッドがなんとなく所在
なさげに見えました。
その時に何か予兆があったのかもしれません。
翌日姉と一緒に病院に行くと、伯母は私たち2人の顔を見て、
“きてくれたの~。2人の顔を見たら安心した~。”
と、満面の笑顔で迎えてくれたので、
“やっぱ今回も大丈夫みたい”
と安心していたのですが・・・。
前日の昼頃から食事を取っていないようだったので、水と
ジュースを半分づつに分けて与えたところ、ものすごい
勢いでそれらを飲み干していきました。
その数分後です。
目を大きく見開き、大きな息を3~4回吸っては吐いて、
その後、気がつくと息をしていませんでした。
4年間伯母の介護を続けてきた母に、どうしても死に目に
立ち会ってもらいたいと心臓の蘇生を施してもらいました
が、やはり伯母は目を覚ますことはありませんでした。
生まれてからずっと体の痛みに耐え、約4年間の寝たきり
生活からやっと開放されて、ほっとしたのかもしれません。
伯母は本当に安らかな顔をしていました。
もしかして、伯母は私たちが来るのをずっと待っていてく
れたのかもしれません。
悲しいけれど、後悔もたくさんあるけれど、
その顔を見て、
“伯母ちゃんは、やっと楽になれたんだな~・・・”
と、家族はもちろん伯母を知る誰もがそう思ったと思います。
おばちゃん、今まで本当にありがとう。
おばちゃんは私たちにとって、これからもずっと母の
ような存在です。
これからも天国でみんなを見守っていてください。
合掌
2年前に福祉園で撮影された誕生日の記念写真。
家族のお気に入りの写真です。
トミヤム家の5人姉妹と姪っ子2人。
東京、大阪、神戸から帰ってきました。
たった一人の男子は忙しくあちらこちらへ飛び回っておりました。
今回の為に帰省してきた姪っ子3人とおじいちゃん&おばあちゃん
です。
今度はいつ会えるか分からないので記念撮影です。
亡くなってから7日目の“ハマ祭り”と呼ばれる行事です。
この日は朝早くにお墓で親戚などと一緒に朝ご飯を食べました。
四十九日は親戚が集まり、この日は楽しく過ごしました。
伯母にとって私はあまりいい子供(姪っ子)ではありませんでしたが、
一昨年の2月に徳之島に戻ってから今までの間、伯母の最後を看取る
事ができた事は、私にとっては一番幸せなことだったのかもしれ
ません。
私たちを待っていてくれた伯母ちゃんには、本当に感謝です。
ブログにするには思い出すと泣きそうなので、ちょこちょこ滞って
いましたが、年も明けてやっと心機一転。という気持ちになった
ので、伯母の事を書いてみようと思います。
トミヤム家には、ずっと生活を共にしてきた伯母がおりました。
伯母は生まれつき体が不自由ながらも、父と母が畑仕事に行く時には
トミヤム家の兄弟6人の面倒を、亡くなった祖父と共に一緒にみて
くれた、いわゆる私たちの“第二の母”といった存在でした。
ある日、ショートステイでお世話になっている某福祉園から、
“体調が悪そうなので、病院に連れてきます”
と連絡が入りました。
季節の変わり目にはありがちなことだったので、いつもの事かと思い
姉に仕事の帰りに様子を見に行ってもらったのですが、ふと伯母が
いつも寝ているベッドを目にした時、そのベッドがなんとなく所在
なさげに見えました。
その時に何か予兆があったのかもしれません。
翌日姉と一緒に病院に行くと、伯母は私たち2人の顔を見て、
“きてくれたの~。2人の顔を見たら安心した~。”
と、満面の笑顔で迎えてくれたので、
“やっぱ今回も大丈夫みたい”
と安心していたのですが・・・。
前日の昼頃から食事を取っていないようだったので、水と
ジュースを半分づつに分けて与えたところ、ものすごい
勢いでそれらを飲み干していきました。
その数分後です。
目を大きく見開き、大きな息を3~4回吸っては吐いて、
その後、気がつくと息をしていませんでした。
4年間伯母の介護を続けてきた母に、どうしても死に目に
立ち会ってもらいたいと心臓の蘇生を施してもらいました
が、やはり伯母は目を覚ますことはありませんでした。
生まれてからずっと体の痛みに耐え、約4年間の寝たきり
生活からやっと開放されて、ほっとしたのかもしれません。
伯母は本当に安らかな顔をしていました。
もしかして、伯母は私たちが来るのをずっと待っていてく
れたのかもしれません。
悲しいけれど、後悔もたくさんあるけれど、
その顔を見て、
“伯母ちゃんは、やっと楽になれたんだな~・・・”
と、家族はもちろん伯母を知る誰もがそう思ったと思います。
おばちゃん、今まで本当にありがとう。
おばちゃんは私たちにとって、これからもずっと母の
ような存在です。
これからも天国でみんなを見守っていてください。
合掌
2年前に福祉園で撮影された誕生日の記念写真。
家族のお気に入りの写真です。
トミヤム家の5人姉妹と姪っ子2人。
東京、大阪、神戸から帰ってきました。
たった一人の男子は忙しくあちらこちらへ飛び回っておりました。
今回の為に帰省してきた姪っ子3人とおじいちゃん&おばあちゃん
です。
今度はいつ会えるか分からないので記念撮影です。
亡くなってから7日目の“ハマ祭り”と呼ばれる行事です。
この日は朝早くにお墓で親戚などと一緒に朝ご飯を食べました。
四十九日は親戚が集まり、この日は楽しく過ごしました。
伯母にとって私はあまりいい子供(姪っ子)ではありませんでしたが、
一昨年の2月に徳之島に戻ってから今までの間、伯母の最後を看取る
事ができた事は、私にとっては一番幸せなことだったのかもしれ
ません。
私たちを待っていてくれた伯母ちゃんには、本当に感謝です。